1961年の東声会系三声会VS住吉会。
1961年東声会系三声会VS住吉会が勃発しました。
三声会の組長の三木恢は5人兄弟の末っ子として朝鮮で生まれました。
父親は朝鮮で炭鉱を保有していましたが、敗戦後に日本に引き揚げて、東京の中野で税務法律事務所を開いていました。
三木恢は小中学校時代は柔道に打ちこむ一方、不良仲間とグループを結成して喧嘩にあけくれていました。
三木恢は巣鴨高校に進学して不良仲間と暴れまわっていました。
しかしまっとうな道で生きてほしいという親の願いを聞き入れて、石神井高校に編入しました。
入学当初の三木恢は真面目に勉強に取り組んでいました。
そんな折、三木恢の級友がヤクザと関係を持つ上級生にいじめられて三木恢に助けを求めてきました。
三木恢は上級生を呼び出してボコボコにしました。
三木恢は上級生の父兄や教師から吊るしあげられました。
三木恢は「学校はいいかげんなものだ。正しいことをしても通らない。」と学校を退学してアウトローな道で生きることを決意しました。
三木恢は親の強い希望で京王商業高校に入学しました。
しかしそこでも三木恢は喧嘩にあけくれて、京王商業高校の番長になりました。
三木恢たち不良仲間は鷺宮の右翼の家をたまり場としていました。
三木恢は鷺宮の右翼に新宿進出の後ろ盾になってほしいと頼みました。
しかし三木恢の親から学校に行くように説得してくれと頼まれていた右翼は三木恢の頼みを断りました。
三木恢は自力で新宿進出を模索していくことになりました。
当時の新宿は東口が尾津組、南口や中央口が和田組、野原組、西口が安田組、要通りが極東会、新宿二丁目が小金井一家が縄張りとしていました。
三木恢は戦後に繁華街として発展した歌舞伎町であれば進出の余地はあると考えました。
当時の歌舞伎町は塚原一派の西武グループが拠点としていました。
「三木恢グループVS西武グループ」
歌舞伎町に進出した三木恢たちの不良グループは塚原一派の西武グループと頻繁にぶつかりました。
三木恢の不良仲間が歌舞伎町で西武グループにリンチを受けていました。
そこにたまたま通りかかった東声会の町井久之の舎弟の陳八芳が三木恢の仲間を助けました。
これを聞いた三木恢は陳八芳に大変感謝して、陳八芳の舎弟になりました。
歌舞伎町を拠点にしていた西武グループは100人以上の巨大グループでした。
それに対して三木恢のグループは10人前後しかいませんでした。
三木恢は西武グループのリーダーを巧みに挑発して、リーダー同士のタイマンに持ち込みました。
三木恢は西武グループのリーダーとのタイマンに勝利しました。
三木恢に敗れた西武グループは求心力を失い内部崩壊していきました。
三木恢は三声会を結成して歌舞伎町一の不良グループにのしあがりました。
三声会は最盛期には500人以上のメンバーがいました。
三声会には歌手のジェリー藤尾さんもいました。
「三声会VSヤクザ」
三声会はヤクザが用心棒をしているバーやクラブ、キャバレー、喫茶店に50人以上で押しかけて暴れました。
用心棒のヤクザが来て三木恢を攻撃すると待機していた数百人の三声会の組員が一斉にヤクザに襲い掛かり袋にしていました。
この手法によっていままでヤクザに用心棒代を納めていた経営者は三声会の三木恢に用心棒代を納めるようになりました。
さらに三木恢は歌舞伎町の飲食店の経営者たちと組んで江の島の海の家を買い食べ物屋台、貸しボート屋さん、ダンスパーティーなどを行いました。
他には歌舞伎町を縄張りとしていた小金井一家に断りを入れずに賭博を開帳したり、パチンコ店の景品買いを行ったりやりたい放題をしていました。
三木恢は次第に歌舞伎町のヤクザたちから反感を買っていくようになりました。
「三声会VS住吉会」
1961年10月31日歌舞伎町の喫茶店で三声会の組員が住吉会の組員の福岡幸男と肩がぶつかり口論となりました。
そこに三木恢の兄貴分の陳八芳もやってきて陳八芳の子分が福岡幸男に暴行しました。
これに激高した住吉会組員の福岡幸男は仲間を連れて再び喫茶店にやってきました。
三木恢はこの時の話し合いに参加しました。
住吉会組員の福岡幸男は三木恢、陳八芳、三声会幹部2人に発砲しました。
三木恢と陳八芳は胸を撃たれて死亡しました。
三声会幹部2人も重傷を負いました。
三木恢の死後、三声会は解散、残った組員は東声会に加わりました。
(参考:ヤクザ人物史・三木恢)
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