朝堂院大覚さんのお父さんとお母さん。
公開日:
:
最終更新日:2023/03/31
政治, 社会, 経営, 経済, 陰謀・謀略・未解決事件・冤罪事件
朝堂院大覚さんは昭和15年12月9日、大阪府郊外の枚方市に生まれました。
本名は松浦良右です。
松浦家は、枚方で400年近く続いた伝統ある家柄でした。
良右の父方の祖父は、当時、枚方の大地主でした。
借家を600軒くらい保有する地主でした。
不動産業を営んでいました。
良右の父方の祖父は投資家でもあり米相場で多額の利益を得ていました。
母親はキノといい、戦前、松下乾電池の代表取締役専務を務めていました。
当時、松下電器は、乾電池が稼ぎ頭でした。
乾電池事業は、キノの父である吉田幸太郎が支えた事業でした。
松下幸之助の著書『私の生きかた、考え方』に、吉田幸太郎について書かれていました。
「まず全国に代理店を募集するために新聞広告をした。第一番に申し込んできたのは吉田幸太郎君である。」
朝堂院さんのお母さんのキノさんやおばあちゃんによると吉田家と松下幸之助さんの松下家は親戚だったそうです。
吉田は、のち代理店をやめ小森乾電池に入社しました。
小森乾電池が松下電器に買収されたときに、吉田は松下電器の大株主となりました。
この時の買収は50対50の対等合併だったそうです。
小森乾電池は、昭和10年に松下電器が事業部制を敷いたとき、松下乾電池となりました。
吉田は、このころは工場課長でした。
こうした縁で、母親のキノは、松下乾電池の仕事を、戦後、昭和25年までやっていました。
こういった繋がりもあってなのか、西麻布で朝堂院さんの息子の松浦大助さんが経営している会員制ラウンジにはパナソニックの重役もよく来ています。
良右の父親の正一は、同志社大学の商学部を卒業し、昭和15年から18年まで、満州に出兵しました。
陸軍の大尉で師団長でした。
その後、日本へ帰国した正一は、朝日新聞社の傍系会社である朝日ビルディングの経理担当重役に就任しました。
社長は、朝日新聞の元論説委員でした。
社員は、全員が朝日新聞の社員でした。
正一は、大阪フェスティバルホールをつくるために、朝日ビルディングの社長とともに大阪観光という会社をつくりました。
正一が生きていれば大阪フェスティバルホールとリーガグランドホテルのオーナーとなっていました。
関連記事
-
-
京都駅の被差別部落・崇仁地区と松浦グループの深い繋がり。
京都駅の被差別部落・崇仁地区と松浦グループは深い繋がりがありました。 京都
-
-
極東会系桜誠会(極東会系眞誠会)傘下の極青会組員たちによって引き起こされた凶悪事件が綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件。
1988年11月から1989年1月の間に極東会系桜誠会(極東会系眞誠会)傘下の極青会組員たちによって
-
-
前原誠司議員と長島昭久議員が統一教会の機関紙の意見広告に名を連ねる
前原誠司議員と長島昭久議員が統一教会の機関紙ワシントンタイムズの意見広告に安倍総理と共に名を連ねてい
-
-
陸前高田に女性だけの建設会社が誕生。育児との両立目指す。
岩手県の陸前高田に女性だけの建設会社が誕生。育児との両立目指す。 https://www.ka
-
-
アメリカのバイデン大統領が横田基地から六本木のハーディーバラックスに降り立つ。
アメリカのバイデン大統領が横田基地から六本木のハーディーバラックスに降り立ちました。 &nbs
-
-
窪塚洋介さんを9階から転落させて殺そうとしたのはCIA。
2004年の6月6日自宅マンションの9階のテ
-
-
ソルビが所属する事務所の代表、株価操作疑惑の組織から投資を提案されるも「内容がわからなくて断った」(KSTYLE)
歌手兼画家のソルビの所属事務所の代表A氏が、株価操作疑惑の核心人物として名指しされた投資諮問会社のラ
-
-
大麻密売グループに協力していた徳島県藍住(あいずみ)町議会の副議長の平石賢治と町住民課職員の阿部さやかを逮捕。
密売用大麻の所持事件に絡み、捜査当局が藍住町に関連情報を照会した事実を容疑者側に漏らした見返りに現金
-
-
つばさの党の黒川敦彦さん、杉田勇人さん、山本武彦さんが創価学会本部前で学会歌の威風堂々を踊る。
つばさの党の黒川敦彦さん、杉田勇人さん、山本武彦さんが創価学会本部前で学会歌の威風堂々を踊りました。
-
-
東京ではエリートの旦那がキャバ嬢に狂ってる、浮気に夢中ということが多い。
さきほど、旦那が六本木のキャバ嬢に貢いでるんですけどっていう相談があった。
- PREV
- 長崎とイルミナティの深い繋がり。
- NEXT
- 朝堂院大覚さんが携帯電話を持っていない理由。