モーセはエジプトを脱出して岩手県の岩手山にやってきて、岩手山から天浮舟(あまのうきふね)で石川県の宝達山に辿り着いた。
モーセは紀元前16世紀から13世紀ごろに活躍した古代イスラエルの民族指導者であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、バハーイー教など多くの宗教において最重要の預言者の一人とされています。
石川県羽咋郡宝達志水町(はくいぐんほうだつしみずちょう)の宝達山の三ツ子塚古墳の中にモーセの墓というものがあります。
宝達山のふもとは伝説の森公園 モーセパークとして整備されています。
山道を登っていくと三ツ子塚古墳の中にモーセの墓があります。
以前の記事で日本全国の古墳の周囲に被差別部落、同和地区があったのは、被差別部落=ユダヤ人の居住区だったということを書きましたが、モーセの墓が三ツ子塚古墳群の中にあったということとも繋がりますね。
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モーセが石川県の宝達山で亡くなったということが竹内文書に書かれています。
竹内文書とは6世紀ごろ、国史の記録消失を恐れた武烈天皇が勅命により記録させた文書です。
それが新宗教の天津教(あまつきょう)の教祖、竹内巨麿の代まで複写されて伝わったとされています。
竹内文書を巨麿が初めて公開したのは明治時代のことでした。
宝達山には町によって建てられたモーセの墓の解説書きもあります。
モーセは旧約聖書の出エジプト記によると、エジプトからヘブライ人(ユダヤ人)を連れて海を割って約束の地カナンを目指しました。
モーセはエジプトを脱出後にシナイ山にやってきて、シナイ山でヤハウェと契約を結び十戒を授けられました。
シナイ山は旧約聖書の出エジプト記の記述からも岩手県の岩手山であることが明らかになっています。
これはヨーロッパの貴族の間では極秘裏に知られていて、岩手山、岩手は神聖な町だとされているそうです。
モーセは岩手山でヤハウェから授かった十戒を刻んだメノウ石を当時の天皇に献上しました。
天皇は返礼として皇女の大室姫をモーセに授けたそうです。
モーセと大室姫は岩手山から天浮舟(あまのうきふね)という古代文明の飛行船に乗って石川県の宝達山に到着しました。
そこでモーセは583歳の生涯を閉じたと言われています。
太平洋戦争で日本が敗戦後、GHQに日本は占領されました。
そのGHQによって戦後、宝達山の調査が行われたそうです。
これは石川県宝達志水町の教育委員会が紛れもない事実だと認めています。
モーセは2メートル以上の巨人だったとされていて、GHQがその骨を持ち去ったという話もあります。
次回の記事で岩手県、石川県とユダヤ人、イルミナティとの深い繋がりについて書いていきたいと思います。
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